筑峯学園は祖父・岡野豊四郎が大正12年に連関調和教育法を提唱して、知的に障害を持つ子達の為に「筑波学園」を現在地に設立したのを前身とし、その後「筑峯寮」、「筑峯学園」と名称を変更し、現在に至っております。社会的理解、援助も少なかった大正12年に障害児教育に取り組み、生活教育を核にしての施設づくりに取り組んだ創設者の熱意の基は、知的障害児が適切な教育を与えられない状態で放置されていることに対する義憤と使命感があり、この状態に対して「不公平」「人道上軽々ニ附スベキ大問題」として障害があろうとしても人間として相当の能力を附与したいと同時に知的障害児が生涯を安定して暮らせる社会づくりが構想にあったといわれています。
筑波山の山すその温暖な自然に恵まれた環境のもと現在は、福祉型障害児入所施設、障害者支援センター未来(就労継続B型、生活介護)、グループホーム、短期入所、日中一時支援事業、相談支援事業の事業を行っております。今後も障害を持つ人達のため、家族の福祉のため、社会的ニーズに応えて未来を切り拓く福祉事業を行っていく所存であります。皆様のご理解とご支援をお願い致します。
社会福祉法人筑峯学園 理事長
岡野 光宏
筑峯学園沿革
年 | 月 | |
1923 大正12 | 4月 | 岡野豊四郎が連関調和教育法を提唱して、現在地に【筑波学園】を設立 |
1948 昭和23 | 1月 | 児童福祉法により精神薄弱児施設【筑波学園】認可(都) |
1949 昭和24 | 3月 | 児童福祉法により精神薄弱児施設【筑波学園】認可(県) |
1952 昭和27 | 1月 | 筑波学園を廃止、茨城県委託児童を県立筑波学園へ移管 |
4月 | 施設名称変更【筑峯寮】認可(都)、施設長岡野和子 | |
12月 | 児童福祉法により【養護施設 筑峯寮】認可(県)定員24名となる | |
1954 昭和29 | 8月 | 岡野 徹 施設長となる |
9月 | 児童福祉法により精神薄弱児施設に変更認可(県)、定員25名となる | |
1955 昭和30 | 8月 | 児童寮舎新築 |
10月 | 増設分(15名増)により、定員40名認可 | |
1958 昭和33 | 2月 | 職業指導場新築 |
1964 昭和39 | 4月 | 筑波町立山口小学校より教員1名派遣を受け特殊学級授業を開始 |
11月 | 岡野和子 施設長となる(岡野 徹 逝去) | |
1971 昭和46 | 9月 | 【社会福祉法人筑峯学園】認可となる。 理事長岡野和子 筑峯寮を廃止 |
10月 | 社会福祉法人筑峯学園経営の【精神薄弱児施設 筑峯学園】認可 | |
1974 昭和49 | 5月 | 児童園舎本館改築(日本自転車振興会、茨城県補助金、茨城共同募金配分金) |
1976 昭和51 | 8月 | 食堂兼浴室新築(清水基金) |
1979 昭和54 | 3月 | 児童園舎・訓練作業室改築 (日本自転車振興会、茨城県補助金、茨城県共同募金配分金) |
4月 | 学齢児、県立土浦養護学校へ通学開始 | |
1981 昭和56 | 2月 | 給水設備改善(車両競技公益資金記念財団) |
1984 昭和59 | 8月 | 遊戯室新築(清水基金) |
1990 平成2 | 4月 | つくば市営水道平沢地区事業により上水道完備、使用開始 |
1992 平成4 | 5月 | 食堂・浴室棟増改築 |
5月 | 岡野芳三 施設長となる | |
2000 平成12 | 7月 | 岡野光宏 施設長となる |
2004 平成16 | 3月 | 訓練棟新築 |
2006 平成18 | 10月 | 障害者自立支援法が施行され、短期入所事業、就労移行支援事業、生活介護事業「のびのび」開始 |
2007 平成19 | 4月 | 県立つくば特別支援学校新設により、学齢児通学開始 |
4月 | 「のびのび」から「障害者支援センター未来」に名称変更 | |
4月 | 岡野光宏 理事長となる(岡野和子逝去) | |
10月 | 上沢作業場新築 | |
2008 平成20 | 3月 | ほっとハウス作谷(ケアホーム)新築 |
2008 平成20 | 4月 | 相談支援事業開始 |
2010 平成22 | 4月 | 障害者支援センター未来 就労継続支援B型事業開始 |
2012 平成24 | 4月 | ほっとハウス平沢 障害者支援センター未来 就労移行支援事業廃止 |
2013 平成25 | 6月 | 相談支援事務所新築 |
2014 平成26 | 11月 | ほっとハウス平沢新築 |
2016 平成28 | 5月 | 平沢作業所開設 |
2019 平成31 | 4月 | 県立石岡特別支援学校開校に伴い、学齢児転入 |
2019 令和元 | 5月 | ほっとハウス平沢Aを日中サービス支援型事業に変更 |
2019 令和元 | 7月 | 児童発達支援事業すたーと 開始 |
2021 令和3 | 1月 | 障害者支援センター未来 永井事業所 開始 |
2024 令和6 | 4月 | 障害者支援センター未来平沢作業所生活介護休止 |
実は100年の歴史
日本で最初の知的障害児のための福祉施設として、明治24年開設の滝乃川学園(東京都)があります。
その次に、明治32年白川学園(京都府)、大正5年桃花塾(大阪府)、大正8年藤倉学園(東京都)と続きます。
その後、大正12年に創設された日本で5番目に古い入所施設が筑峯学園です。
昭和2年三田谷治療教育院(兵庫県)、昭和3年八幡学園(千葉県)、昭和6年六方学園(広島県)、昭和8年久美愛園(埼玉県)と、今に残る戦前に作られた入所施設、9施設です。
知的障害児に対する教育が必要という、教育的観点を持って開設されています。
筑峯学園は、古い施設としては珍しく、宗教的な教えがありません。
古い寮訓を見つけました
一、よいことをいたしませう(修善)
ニ、わるいことはいたしません(断悪)
三、よのなかのためになる人になりませう(衆生済度)
天國は汝の内にあり(菩薩は心の明暗)
仏教的な考えですね。筑峯寮のころに掲げていたという話ですが、いつまで使われていたのかは不明です。
ただ、内容はとてもわかりやすいですね。
知的障害児、戦争孤児、触法の子どもなど、その時代に求められることを事業としてしてきたことが、昔の資料を見ていると伺えます。「今、何が必要なのか。何をすべきか。」と事業運営で考えることは、今も引き継がれています。
古い施設だからこその話といえば、豚もいないし今では建物もない場所を「豚小屋」、もう洗濯機も乾燥機もおいていない駐車場にあたりを「洗濯場」と呼ばれることがあります。豚を見たことがあるのは、今では子供のころの理事長だけでしょうか。古参の職員は小屋は知っていますが、10年前に入職した職員は小屋も見たことがありません。
漬物倉庫もなくなり、古い建物は姿を消しています。次は児童施設の建て替えという話があるので、この古い児童施設の建物ともお別れの時期が近づいています。